今も、母に少しずつ返している。
年に10万円ずつ。多いとは言えない額だが、生活に大きな余裕があるわけでもない。この話には、まだ終わりが来ていない。
もう一度、賭けた
体は正直だった。
もみほぐしの仕事は、もう保たなかった。夜勤続きで体はとうに限界を超えていたし、アトピーも悪化する一方だった。この稼ぎで家族を食わせていくという計算も、とっくに破綻していた。
辞めた。そして、転売一本に懸けた。
それでも俺は、転売そのものを疑わなかった。疑っていたのは自分のやり方や、あのスクールのことであって、「この道でいけるはずだ」という感覚は、まだ捨てていなかった。
多少は売れる、という罠
本業にしてからは、それなりにやった。相場を調べ、仕入れ、出品し、英語で問い合わせに応じる。副業のときよりずっと本気だった。
そして、それなりに売れた。
ここが、一番書きづらいところだ。まったく売れなかったなら、話は早かった。ゼロなら、諦めもつく。でも多少は売れる。今月はダメでも来月は伸びるかもしれない。今のやり方を変えれば、長期戦なら、いつか届くかもしれない。
そう思わせるだけの数字が、ぎりぎり出ていた。
生活費には届かない。それでも、ゼロではない。この「ゼロではない」が、一番厄介だった。負けているとは思っていなかった。ただ、勝ててもいなかった。
負けを認めないまま
半年ほど、そんな状態が続いた。
自分の中で見切りをつけたわけではない。長期戦ならいけると、どこかでまだ執着していた。でも、生活が先に音を上げた。
やっていた手法は、在庫を持たずに売る無在庫販売だった。注文が入ってから、カードで仕入れる。売上は入るが、仕入れた商品のカード引き落としは別のタイミングでやってくる。売れるスピードが遅く、量もさばけていなかったから、感覚としては、じわじわ借金が増えていくのに近かった。カードの支払い期日に間に合わないことも、一度や二度ではなかった。
余剰金は、もうどこにもなかった。リボ払いで首が回らなくなっていて、借金がじわじわ増え始めていた。
それに、この転売は、妻の反対を押し切って始めたものだった。止められても意地で続けて、結果、生活はさらに悪くなっただけだった。会社員になることは、負けを認めることであると同時に、妻へのせめてもの罪滅ぼしでもあった。
会社員になることを決めたのは、自分が転売に負けたと認めたからではない。認められないまま、仮面をかぶって、会社に勤めるという選択をせざるを得なかった。辞めたんじゃない。続けられなくなっただけだ。
それでも未練は残っていて、会社員をやりながら細々と転売を続けようともした。だが、それも長くは続かなかった。両立できるほど、器用ではなかったし、体力もなかった。結局、そこからも撤退した。
もう一人、頭を下げた相手
叔父の100万と、80万のスクール代。それだけでは足りなかった。
生活が立ち行かなくなっていく途中のどこかで、もう一人、頭を下げた相手がいた。母だった。
いくら借りたかは、ここには書かない。ただ、叔父のときと同じで、それが「一時的なもの」だと思っていたのは覚えている。少し立て直せば、すぐに返せる。そう思っていた。
その「少し」が、何年も続くことになるとは、そのときは思っていなかった。
気づいたら、まだ終わっていなかった
1本目の話は、「気づいたら、なくなっていた」で終わった。
今度は逆だ。気づいたら、まだ返し終わっていなかった。
会社員としての生活が落ち着いてきて、ふと振り返ると、母への返済はまだ続いていた。1年、2年と経つうちに、いつの間にか「返し終える日」を数えなくなっていた。今月払えるかどうか、それだけを見るようになっていた。
今
年に10万円ずつ。ペースとしては、決して早くない。
それでも、今の生活は以前よりずっと安定している。大きな余裕があるわけではないが、数字を見るのが怖かったあの頃とは、はっきり違う。
この話に、教訓めいた締めくくりはつけない。まだ返し終わっていないのだから、答え合わせをするには早すぎる。
ただ、ひとつだけ言えることがある。
負けを認めるタイミングは、自分では選べないことがある。生活のほうが先に、白旗を上げさせにくることがある。
俺の場合は、それが会社員になった日だった。


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